呪詛
止めていたタバコを1年ぶりに吸っている。
極度のアル中気質の為、これも禁じていた家での酒を飲んでいる。こうなるのが分かっているからな。とはいえ、外で飲んでいたとしても、DZさんもう止めた方がいいのでは…と素で心配される程度にぶっ倒れるまで飲んでしまう。何軒というレベルではなく、開いている店がある限り飲み続ける。居酒屋・バーを梯子してから朝方までやっているオカマバーに移り、最後は24時間やっている飲茶屋でビール。財布なんて幾ら入っていようが、気が付けば空だ。
極度の二日酔いで舌は回らず、手はいつも震えている。酔いの揺り戻しの鬱と必死に戦っているのが誰にもバレませんようにと、普段祈ったことも無い神にすがりつく。人の繋がりに助けを求めたところで、現在のSNSは単なる拡声器でしかなく、そこに救いを求めたところで与えられるのは1クリックのいいねが関の山だ。だからこの誰も見ていないWEBの辺境が自分が自分でいられる最後の砦なのだ。
しかしそれでも仕事が回っているのが我ながら驚異的だ。それは最早狂気に近い。日々の仕事に加え、DZさん一筆書いてくださいよと頼まれることも最近多い。WEBで良かったと本当に思う。原稿用紙では酒を零した時に替えがきかない。
大した才能があるわけでもない。まだこうして食えているのが奇跡的なほどだ。ただそこに感謝の念はあれど、自省の心は無く、苦悩だけが続く。彼岸と此岸の差はもう取り返しがつかないくらいに断絶し、その概念自体がより一層の孤独を鮮明にする。
なぜオレはこの仕事を選んだのだろう。義理と人情に縛られ、いつまで自分をすり減らせばいいのだろう。まるで兵站の切れた戦場のようだ。今のストレスの元凶はこれに尽きるし、人嫌いの人間でさえ社会性を失っては生きていけない理由がここにある。
話しは変わるが、すごく好きな言葉がある。引用するにはちょっと長いのでリンク。あのドラッカーの最後の言葉と言われるものだ。
・ドラッカー最後の言葉 「イノベーションとは、昨日の世界と縁を切り、明日を創造することである。」 | 世界一、俺はシアワセもん
この言葉が免罪符になるわけではないが、人間としてとても共感する。
母親の枕元には西行の詩が刻んであった。
「願わくば花の下にて春死なんその如月の望月のころ」
オレもそうなればいいなと願ってならない。