2014年秋
ビールを飲みながらこんなまとめを見つけた。
・公務員浪人のコピペ怖すぎワロタwwww : 暇人\(^o^)/速報 - ライブドアブログ
ゾッとして最後まで読めなかった。無職達の傲慢な語り口ではなく、そこにあり得たかも知れない自分を見たからだ。
民間を見下すのは副作用なものだ。問題は幼少期の万能感をずっと引きずり、現実大の自己を受け入れられず、理想の自分をそこに投影し続け、挫折を挫折として捉えられない為に、心の角が削れずいつまで経っても自己は肥大化したままであることだ。
それでも徐々に時が現実から真実を捻り出し、ひょっとして?オレは…という疑念を芽生えさせる。それに気付いたところで、今まで費やした時間という無形の資産は破棄できずに、次は士業を目指すというハイリスクローリターン。実際にはなるのが目的ではなく、なってからどうするか?が問題なのに。
分かっている、分かっているさ、でもオレは違うんだ。
なにが違うんだろう?そう、飲み屋でふんぞり返って酒を煽るオレとなにが違うのだろう。
なにも違わない。そうなり得たかも知れない自分がそこにいる。だからこそおぞましい。なぜなら公務員を全てのワナビーに置き換えても成立するのだから。ミュージシャン、小説家、ゲームクリエイター、声優と入れ替えても、何ら不自然はない。ただそこにあるのは自分の職業を決めるダイスを振り続ける為には現実の時間も必要だという事実だけ。
彼らが現実に戻ったときには、何が残るのだろう。
それでも30歳ならまだやり直しもできると35歳過ぎのオレは思う。40過ぎの人は35過ぎもまだまだだと思うだろう。しかし悲しいかな人は老いていく。
オレに残された時間はあとどのくらいなのだろう。少しでも前に進めているのだろうか。そして前に進んだ先にオレが望むものはあるのだろうか。
そして彼には?
最近、指数関数的に人生が閉塞していく気がしてならない。拡散でも収束でもなく。そして酒の量だけが増えていく。