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まとめて書く用

照柿

ビジネスが無かったので、あらラッキー初ファーストとなった。うっひょー!フルフラットで寝られる~!と喜んだのも束の間、携帯していた文庫本がちと重かった。太平洋を横断しながら読む本ではないと思う。

高村薫「照柿」読了。うちのお袋さまが大ファンで気がつけば家の中にごろごろと転がっていたものの、この年になるまで読まないでいた。照柿は確か直木賞を取った「マークスの山」の前後くらいの発刊だったように記憶している。まあその辺りはググればすぐ分かるだろう。しかし前知識はそのくらいしかなく、実は初高村薫であり、きっとエンターテイメントなのだろうな!ぐらいの軽いノリで読み始めたのだが、思いっきり良くも悪くも期待を裏切られた。

巻末の解説にもあったが、確かにこれは純文学と捉えた方が分かり易い。決してミステリではない。油彩を塗り重ねるかの如く、丹念に背景や心象が描写されるため、ストーリー自体は遅々として進まない。すっかりハリウッドエンタメぼけした頭には、それがなかなか手強く、何度か挫折しそうになったが、後半に入ってしまえば一気に読めた。

一声で言えば、とにかく暑苦しい。きっと読後は異口同音にみなそう思うことだろう。そしてその暑苦しさに登場人物は頭がやられ、狂気への道をひた走っていく。見事なまでの重い、暑い、苦しいの三拍子で、35歳達のそれぞれの現実が果てしなく重苦しい。そしてそれらはあまりにも衝動的で一貫性など何もなく、ただただ「のたうち回る」。救いなど何も無く、あるのはただ憐憫のみ。

が、32歳のオレには素直に憐憫の情に身を委ねることもできず、3年後にありえるかも知れない、もちろん極端ではあるが、1つの現実の姿に恐怖を覚えた。

30を超えてから、ありとあらゆる事象が重く感じる。もちろん気の持ちようで、幾らでもその見え方は変わるとはいえ、年中正月気分ではいられないのも事実だ。とりあえず疲れているときに、こういう心に来る小説を読むものではないらしい。

もっとこう…おぱんつー!おぱんつー!的なものの方がいい。たぶん。